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水ヶ峯

小辺路のルートと主要な3つの峠、その周囲の名所・旧蹟・遺跡等について記述する。


水ヶ峯 [編集]
高野山内から小辺路へのとりかかりは金剛三昧院の入り口右手にある坂道である。林道を道沿いに登りきると、ろくろ峠である。高野七口のひとつでもあったろくろ峠からは平坦な尾根沿いの林道を進み、薄峠(すすきとうげ)手前の切り通しから御殿川(おどがわ)へと下る。下り道の途中には町石一基がある。御殿川にかかる橋を渡ってからは急な坂を上って大滝集落に入る。集落最奥の民家の脇から林道を通り、高野龍神スカイラインに合流する。1キロメートルほど歩いて水ヶ峯の尾根道に達するまでは、高野龍神スカイラインの整備により古道は失われており、荒神岳遥拝所の鳥居[101]がわずかに古道の痕をとどめるに過ぎない。

高野龍神スカイラインから左手の尾根道に上るとそこが水ヶ峯である。水ヶ峯は近世には宿場を営む集落で、杉の防風林が残されている。水ヶ峯を過ぎ広葉樹林がしばらく続いたあと、尾根上の林道タイノ原線に合流する。前述のようにタイノ原線の建設により尾根上の古道はほぼ完全に失われている。高野山から大股までの区間は、「大半が高野龍神スカイラインと水ケ峰 ― 大股間の林道タイノ原線によって破壊されている」[102]のである。

タイノ原林道が通る尾根道には、麓の集落への分岐点であった檜股辻・今西辻・平辻が続く。平辻のそばには旅籠跡とみられるわずかな平坦地がある[103]。この辺りの小辺路は尾根道を通り、所々でふもとの集落への枝道を分岐させている。ふもとの集落にとっての小辺路は、物資集散地であった高野山への幹線道路として重要なものであった[104]。平辻からはスギ植林地の中の地道を進んで県道川津高野線に降り立ち、川原樋川(かわらびがわ)のほとりの大股集落に至る。
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大股集落は『清良記』にも名があることから室町初期には街道集落として成立していたものと見られ、『めぐり』にも伯母子峠越えを控えた宿場として機能していたようすが記されており[105]、津田屋・坂口屋等の旅籠の名が伝えられている[106]。大股は、高野山と十津川村神納川などとの間の物流中継地でもあり、馬方の親方として活躍した池尾馬之介という人物の名が今日に伝えられている[107]。

ろくろ峠
高野七口のひとつ、大滝口の旧蹟。前述のように、大正ごろまで吉野・熊野の山中で木地師の活発な活動があったことから、木地師の道具のろくろに由来する地名と見られる[108]。1872年(明治5年)まで女人禁制であった高野山に参詣を望む女性が遥拝するための女人堂があったと伝えられている[109]。
町石
薄峠から御殿川への下り坂にある円頭形角柱の碑で、正面には円相の中に半肉彫り弘法大師坐像があり、右側には、かうや山(高野山)・くまの本宮(熊野本宮)、左側には、大坂(大阪)・奈良・若山(和歌山)への距離がそれぞれ記され、くまの本宮までは17里(約67キロメートル)とある[110]。
水ヶ峯
水ヶ峯(みずがみね、または「水ヶ峰」)は大滝集落から大股集落への尾根道上の集落跡。いくつかの近世の旅行記には、水ヶ峯に一軒家があったと記されている(『熊野案内記』[111]および『めぐり』[112])。さらに江戸時代終わりには4件、1899年(明治32年)頃には8軒をかぞえて最盛期を迎えたが、通行人の減少につれて住人は減り、1950年(昭和25年)頃には無住となった

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2009年03月17日 12:51に投稿されたエントリーのページです。

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